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猫の乳腺腫瘍:80%が悪性という事実。早期発見と治療法の全知識

はじめに:「乳腺腫瘍です」—その診断と向き合うご家族様へ

愛猫の体に「しこり」を見つけ、動物病院で「乳腺腫瘍の疑いがあります」と告げられたとき、ご家族様の心には計り知れない衝撃と不安が走ることでしょう。特に、それが「猫の場合、その多くが悪性です」と続くとき、頭が真っ白になり、これからどうすれば良いのか途方に暮れてしまうお気持ちは、痛いほど理解できます。
猫の乳腺腫瘍は、犬の場合とは異なり、診断された腫瘍の80%以上が悪性のがんであるという、非常に厳しい現実があります 。この事実は、ご家族にとって受け入れがたいものかもしれません。しかし、この深刻な病気だからこそ、正確な知識を持ち、信頼できるパートナーと共に、迅速かつ最善の行動をとることが何よりも重要になります。

この記事は、まさに今、愛猫の乳腺腫瘍という診断に直面し、不安の中で信頼できる情報を探しているご家族様のために書かれています。私たちは、長年にわたり腫瘍科の最新治療に携わってきた専門的な知識と確かな技術を強みとしています。院長は、獣医腫瘍学における高度な専門知識が認められた「獣医腫瘍科Ⅰ種認定医」です 。その専門家の立場から、猫の乳腺腫瘍という病気の性質、正確な診断に必要なこと、そして最新の治療選択肢について、可能な限り分かりやすく、そして誠実に解説していきます。

知識は、不安を希望に変える力を持っています。この記事を通して、ご家族が病気への理解を深め、冷静に、そして前向きに治療への一歩を踏み出すためのお手伝いができれば、これに勝る喜びはありません。

猫の乳腺腫瘍とは?犬とは違う、その深刻な特徴

猫の乳腺腫瘍は、メスの猫において3番目に多く発生する腫瘍です。しかし、その最大の特徴であり、最も深刻な点は、発生した腫瘍の80〜90%が悪性腫瘍、すなわち「乳がん」であるという事実です 。

犬の乳腺腫瘍の場合、良性と悪性の割合がおよそ半々であるのに対し、猫では圧倒的に悪性の割合が高くなります。さらに、猫の乳がんは進行が早く、肺やリンパ節などの他の臓器へ転移しやすいという極めて悪性度の高い性質を持っています。このため、診断された際には、単にしこりを取るだけでなく、全身的な広がりを評価し、集学的な治療戦略を立てることが不可欠となります。
この病気は、中高齢(平均10〜12歳)の避妊手術をしていないメス猫に最も多く発生しますが、若齢の猫やオス猫、避妊済みのメス猫でも発生する可能性はゼロではありません。猫の乳腺は、胸からお腹にかけて左右に4対、合計8つ並んでおり、どの乳腺にも腫瘍が発生する可能性があります。複数の乳腺に同時にしこりができることも珍しくありません。

この「悪性度が高い」「転移しやすい」という2つの特徴が、猫の乳腺腫瘍の治療を犬の場合よりも難しく、そして緊急を要するものにしています。だからこそ、後述する「早期発見」と、発見後の「迅速で正確な診断・治療」が、愛猫の未来を左右する鍵となるのです。

命を救うための第一歩:ご自宅でできる乳腺のチェック方法と初期症状

猫の乳腺腫瘍において、予後を改善する最も強力な武器は「早期発見」です。そして、その最初の発見者となれるのは、日頃から愛猫に触れているご家族様、あなた自身です。日常的なボディチェックの習慣が、愛猫の命を救うことに繋がります 。

ご自宅でできる乳腺チェックの方法

猫がリラックスしている時に、優しく体を撫でながら行いましょう。

1.体勢

猫を仰向けにするか、立った状態で脇から手を入れてお腹を触ります。嫌がる場合は無理強いせず、横になっている時などに優しく触れることから始めましょう。

2.触り方

指の腹を使って、皮膚の表面だけでなく、少し奥の方まで優しくなでるように触ります。乳腺は胸の付け根から下腹部まで左右に列になって並んでいることを意識してください。

3.チェックポイント

小さなしこりや硬い部分はないか?

初期には米粒や小豆程度の大きさのこともあります。どんなに小さくても、以前はなかった「何か」に気づくことが重要です。

乳首の周りに変化はないか?

乳首が赤くなっていたり、ただれていたり、液体が出ていたりしないか確認します。

皮膚の色の変化

しこりの上の皮膚が赤くなったり、青紫色になったりしていないか見ます。

脇の下や内股の付け根

乳腺からのリンパは、これらの場所にあるリンパ節に流れます。腫れがないかも合わせてチェックすると良いでしょう。

このボディチェックを、少なくとも月に一度は行うことをお勧めします。

乳腺腫瘍の初期症状

最も一般的な初期症状は、胸やお腹を触った時に気づく「しこり」です。初めは小さく、痛みもないため、猫自身が気にすることはほとんどありません。しかし、病気が進行すると、以下のような症状が見られることがあります。

  • しこりが大きくなり、表面の皮膚が破れて出血したり、液体が出たりする(自壊)
  • しこりを猫自身が気にして舐め壊してしまう
  • 肺に転移した場合、咳をする、呼吸が速くなる
  • 食欲不振、体重減少、元気消失

咳や元気消失といった症状が見られる頃には、病状がかなり進行してしまっている可能性があります。繰り返しになりますが、症状がない小さな「しこり」の段階で発見し、行動を起こすことが、治療の成功率を大きく高めるのです。

正確な現状把握が未来を決める:当院での精密な診断プロセス

愛猫に乳腺腫瘍の疑いが見つかった場合、次に最も重要なのは「正確な現状把握」です。つまり、そのしこりが本当に乳腺腫瘍なのか、もしそうであれば、体の他の部分に広がっていないか(ステージング)を精密に評価することです。私たちは、ご家族の不安に寄り添いながら、それぞれの検査がなぜ必要なのかを分かりやすくご説明し、納得いただいた上で診断を進めていきます。
当院で行う診断プロセスは、主に以下のステップで構成されます 。

1.視診と触診

まずはしこりの数、大きさ、硬さ、周囲の組織との癒着の有無などを丁寧に確認します。

2.細胞診

しこりに細い針を刺して細胞を採取し、顕微鏡で観察します。これにより、悪性腫瘍が疑われるかどうかの判断材料を得ることができますが、細胞診だけでは確定診断はできません。

3.ステージング(病期分類)

猫の乳腺腫瘍は転移しやすいため、このステージングが治療方針と予後を決定する上で極めて重要になります。

血液検査

全身状態の評価、貧血や炎症の有無、内臓機能を確認します。

レントゲン検査

主に胸部のレントゲンを撮影し、最も転移しやすい肺への転移がないかを確認します。

腹部超音波(エコー)検査

肝臓や脾臓といった腹腔内の臓器や、お腹の中のリンパ節への転移がないかを詳しく調べます。

4.CT検査

レントゲン検査よりも遥かに高精度に、ミリ単位の小さな肺転移巣や、リンパ節への転移を検出することが可能です。また、腫瘍と周囲の構造との関係を立体的に把握できるため、より安全で確実な手術計画を立てるためにも非常に有用です。当院では、必要に応じてCT検査を積極的に活用し、より正確な診断と治療計画の立案に努めています。

5.病理組織検査

外科手術で切除した腫瘍組織を専門の病理医が詳細に分析します。これにより、腫瘍の種類の確定診断、悪性度の評価(グレード分類)、リンパ管や血管への浸潤の有無などが明らかになります。この最終的な診断結果が、手術後の追加治療(化学療法など)が必要かどうかを判断するための最も重要な情報となります。

これらの精密な検査を組み合わせることで、初めて個々の猫の状態に合わせた、最適な「オーダーメイド治療」の計画を立てることが可能になるのです。

最善の道を共に探す:オーダーメイドで提案する治療の選択肢

猫の乳腺腫瘍の治療は、一つの方法だけで完結するものではなく、外科手術、化学療法などを組み合わせた「集学的治療」が基本となります。私たちは、正確な診断結果とご家族のご意向に基づき、それぞれの猫にとって最善と考えられる治療計画をオーダーメイドでご提案し、ご家族と協力して治療を進めていきます。

外科手術(最も重要な治療)

猫の乳腺腫瘍治療の根幹をなすのは、腫瘍を完全に取り除くための外科手術です。猫の乳腺はリンパ管で密に繋がっているため、目に見えるしこりだけを切除する「部分切除」では、高確率で同じ場所に再発してしまいます。そのため、標準的な手術法は、しこりがある側の乳腺とリンパ節をすべて切除する「片側乳腺全摘出術」です。両側の乳腺に腫瘍がある場合は、体の負担を考慮し、2回に分けて両側の乳腺を切除することもあります。 この広範囲な切除は、ご家族にとっては大きな決断に感じられるかもしれません。しかし、これが再発のリスクを最小限に抑え、長期的な生存を目指すための最も確実な方法であることを、私たちは科学的根拠に基づいて丁寧にご説明します。

化学療法(抗がん剤治療)

手術で目に見える腫瘍を取り除いても、すでに画像検査では検出できない微小な転移が体の中に広がっている可能性があります。化学療法は、これらの微小ながん細胞を攻撃し、手術後の再発や遠隔転移のリスクを低減させることを目的とした補助的な治療です。特に、腫瘍が大きかった場合や、リンパ節への転移が認められた場合、悪性度が高いと判断された場合に強く推奨されます。 「抗がん剤は苦しいもの」というイメージに、ご家族は強い不安を感じるかもしれません。当院では、動物たちに負担の少ない医療を提供することを常に心がけており、最新の知見に基づいた副作用を管理するお薬を併用することで、多くの猫がQOL(生活の質)を維持しながら治療を続けることが可能です。

緩和ケア

残念ながら、発見時にすでに重度の肺転移があるなど、根治的な治療が難しい場合もあります。そのような状況でも、私たちは決して諦めません。「がんの緩和ケアまで、優しい医療を提案する」という方針のもと、腫瘍に伴う痛みや呼吸の苦しさなどを和らげ、愛猫が残された時間をできるだけ穏やかに、そしてその子らしく過ごせるよう、最大限のサポートを提供します。緩和ケアもまた、ご家族と愛猫のための、尊い治療選択肢の一つです。

希望の光となる情報:乳腺腫瘍の予後と、それを左右する要因

ご家族にとって、最も知りたい情報の一つが「予後」、つまり「この先どうなるのか」ということでしょう。私たちは、誠実かつ希望を持って、現在分かっている医学的データをお伝えします 。
猫の乳腺腫瘍の予後を左右する最も重要な因子は、手術時に切除した腫瘍の大きさです。

腫瘍の直径が2cm未満で発見・手術できた場合

生存期間の中央値(半数の猫が生存している期間)は3年以上と報告されています。

腫瘍の直径が2〜3cmだった場合

生存期間の中央値は約2年。

腫瘍の直径が3cmを超えていた場合

生存期間の中央値はわずか4〜6ヶ月。

このデータは、いかに早期発見・早期治療が重要であるかを明確に示しています。「しこりが小さいから大丈夫」ではなく、「小さいからこそ、根治を目指せる最大のチャンス」なのです。この他にも、リンパ節への転移の有無や、病理検査での悪性度グレードなども予後に影響します。

これらの情報は時に厳しい現実を突きつけますが、同時に、ご家族が「今、行動すること」の価値を理解し、希望を持って治療に臨むための道標にもなります。

未来の愛猫を守るために:乳腺腫瘍の最も確実な予防法

乳腺腫瘍は、治療が難しい深刻な病気ですが、
ほぼ確実に予防できるがんでもあります。その最も効果的な方法が、若齢での避妊手術です 。

  • 生後6ヶ月齢(初回発情前)までに避妊手術を行った場合、乳腺腫瘍の発生リスクを91%も減少させることができます。
  • 生後7〜12ヶ月齢までに行った場合でも、リスクを86%減少させます。

しかし、2歳を超えてから避妊手術を行っても、残念ながら乳腺腫瘍に対する予防効果はほとんど期待できなくなります。
これから猫を迎え入れるご予定の方、あるいはまだ避妊手術をしていない若い猫と暮らすご家族様には、この事実を知っていただき、愛猫の将来の健康のために、早期の避妊手術を強くお勧めします。これは、私たち獣医師ができる、未来の悲しみを減らすための最も大切な提言の一つです。

専門家と共に、最善の選択を

猫の乳腺腫瘍という診断は、ご家族にとって長く、困難な道のりの始まりかもしれません。しかし、あなたは決して一人ではありません。この複雑で進行の早い病気と闘うためには、正確な知識と豊富な経験を持つ、信頼できる獣医師のサポートが不可欠です。

当院の院長は「獣医腫瘍科Ⅰ種認定医」であり、常に進歩する獣医学に遅れを取ることなく研鑽し、正しい知識としっかりとした技術を持って動物たちのケアに臨んでいます。私たちは、画一的な治療ではなく、一頭一頭の病状とご家族のお気持ちに寄り添い、オーダーメイドで最適な治療計画をご提案します。

セカンドオピニオンをご希望の場合も、ためらうことなくご相談ください。ご家族が抱える不安や心配を少しでも解決し、納得して治療に臨めるよう、時間をかけてお話を伺います。私たちが持つ全ての知識と技術、そして心を尽くして、あなたと愛する猫が共に歩む道を照らす光となることをお約束します。